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橋本努の音楽エッセイ 第11回「ハンガリーという「物語」を創った音楽 バルトーク(1)」」

雑誌Actio 20105月号、23

 


 20世紀を代表するハンガリーの作曲家、ベラ・バルトーク(1881-1945)の音楽に魅了されたのは、小生が大学生のころだった。その当時、アルバン・ベルク四重奏団によるバルトークの四重奏(Alban Berg Quartet, Bartok, String Quartets Nos.1-6 (disc 1-3), Toshiba EMI 1988)が3枚組みのCDで発売され、雑誌『FM fan』の新年号に紹介が載ったので、さっそく買って聴き始めた。するとこれが練り上げられた演奏ではないか。以来、小生は何度もこれを聴き返して心のなかに刻み込んだ。深刻な音楽に向き合うと、否応なく自分自身を試されてしまう。ある種の強迫観念で、悲劇的な運命とともにパッシオ(受苦の精神性)を試されるような、そんな時間を過ごすことになった。研ぎ澄まされた感性に、集中して耳を傾けるに値するアルバムだと思う。

 バルトークの魅力は、ハンガリー民族がもつ土着の「声の文化」を、抽象的な次元に高めた点にあるだろう。彼がハンガリーの村々を歩いて録音・収集した民衆の音楽は、一万数千曲にのぼるという。その収集と分類によって、バルトークはハンガリー民族の文化的独自性を基礎づけた。その成果は、彼のピアノ・ソナタにも深い影響を与えているといわれる。なかでも、ゾルタン・コチシュという鬼才ピアニストが手がけたピアノ・ソナタ集(全4枚)がある(Zoltan Kocsis (p), Bela Bartok, Works for Piano Solo 1-4, Philips [recorded in 1991])。神業というべき演奏で、同国の精神的な高みを、遺憾なく発揮する。一つ一つの音が、民族の声であり生活であるという理解のもとに、その本質を、まるで画家が抉り出すような仕方で描いていく。コチシュの鋭いバルトーク解釈によって、民族の魂はまったく新しい次元を開示したのではないか。バルトークのピアノ曲はどれも1-2分程度の小品だが、それらはコチシュによる徹底した解釈を待たなければ、おそらくこれほど高度な作品として生まれることはなかったようにも思う。音色の驚きとその美しさ、そのすべてが心の襞を直撃する。ピアノ・ソロのアルバムとして、私が最も敬愛するのはこのコチシュ。バルトークの世界を深く掘り下げた瞠目すべき達成だ。静寂な空間にこれほど魂を注ぎ込むことができるとは、検討に検討を重ねた試行錯誤のなせる業であろう。この粘り強い解釈力に学びたい。

 むろんいまから振り返ると、バルトークが20世紀の前半に企てたハンガリー民族音楽の研究は、国民国家を形成するために、ある種のフィクションをでっち上げる効果をもっていたようだ。音楽の都ウィーンを中心とするハプスブルク帝国にとって、ハンガリーは辺境の地であって、独自性をもたない。だがその地域が一つの国家を形成するために、民族音楽の独自の体系化が目指された。しかし20世紀後半になると、ヴォルガ河流域の諸民族は、伝統的には、バルトークやコダーイが想定したハンガリー音楽の独自性をもっていなかったことが判明する。ハンガリーといっても多様だ。その多様性を抑圧しない文化と精神はいかにして可能なのか。それがいま問われている。